光と闇
なんだかさらに凶暴な事件の報道が増しているのを感じますよね。
それも世界規模で。
自分の生き残りだけをかけた
人徳の無い行動が、
社会のあらゆる面で露になっていて...
かといって、
自分のまわりは、それとは全くかけ離れた環境を
徹底して選んでいるのもあって、
人徳が高く、愛情豊で、正義感の強い人々が
生活を営んでいるわけですが、
そういう生活を守るために最善を尽くしている
そんな人が集まる地域を選び、
そういう人とだけ接するように心がけて、
といったことを徹底しているから
可能なわけで、
何も知らないうちの子供達は、
これが普通だと思っているわけですが、
全然そうではない現実についても、教育しないといけない。
ちょっと隣町に行くと
貧困に抑圧されて憤り、爆発しそうになっている人々が
集まる地域もあるわけです。
今はそうでもないですが、
昔のマンハッタンは、そういう富裕層の地域と
貧困層の地域が1ブロック違いで隣り合わせていたりして、
道を曲がるといきなり危険な気配のブロックと出くわしたり、
そんな感じもありました。
富裕と貧困の格差が激しくなっているという記事もよく目につきますが、
経済的な影響を、あえて切り離して考えたとしても、
幸せを追って生きる人と、不幸の真ん中に居続ける人、
光の中に棲む人と闇の中に棲む人、
その格差が強くなっている感じがするのですが...
世の中には、
どんなに貧乏しても、
どんな悪徳な社会のなかに生きても、
曲がらず、まっすぐに、正義を最優先して生きることを選択する人がいるわけで、
魂の純粋さや美しさは、
その人の置かれた環境が厳しいほど
光るものです。
世の中が荒れていくのを
景気だけのせいにはできないわけで、
世の中が廃退しても、自分の境遇が退廃しても、
魂は腐っていくわけではなく、
魂に全く光りが入らない状態にしているのは自分だってこと、
今さらながらに、もっと言っていかなきゃいけないなぁ〜
と感じます。
たとえば、恋愛などの人間関係にしても、
「この人と一緒にいても、魂に光が入りませんよ」
という言い方をしたら、ハっとしないでしょうか?
これを宗教とかカルトっぽくなく、
抽象的な感覚を表現する言葉のアートとして理解してもらいたいわけです。
直感リーディングは、アート的であるということ...
アカデミックでもなく、サイエンスでもなく、
未来を観るアート。
あれこれ考えてたら、もうすぐ夜中の3時です。
これから新刊の原稿書きます〜。
あと、もうちょっと...
光に向かって突き進みます!
最近、ちょっと薄暗い感じの方が周りに多くて、ちょっと嫌だなぁって思っていましたが、いろいろと考えて、自分はそれに交わることはできないなぁって、改めて感じていました。
いろいろな方が世の中にはいらっしゃいますが、私は光に向かって明るい方に舵をとっていきます!
本当にありがとうございます(o^-^o)
これからの時代どうなっていくのか末恐ろしいけど生きて行かなければならないしできるだけ明るいことを考えるようには心がけています!
闇の中ってきっとドロドロと居心地悪そうなイメージ。
心の中に晴れ間はないでしょうね♪
明るい未来にしたいです!(^^)!
昨日まゆみさんのごほん2冊読ませて頂いてうむとうならせて頂いて少し同じ様な事考えていたのでびっくりしました。
新刊楽しみです
昨日の本の言葉もあんまり美しく心に響いたので書き出して目に見える所にはってます。
人を疑ったり、試したりして、試した結果、自分の思い通りにならない!!って、キーっと怒り狂ってる人がいます。日々そんな事ばかりにフォーカスしている人をみると、心はいつも嵐でしんどいだろうけど、その人はその状態を好んで選択しているんだ。。。と改めて思います。
その人はきっと経済的には裕福なはずです。でも魂は暗闇に向かってる。。。言われのない事できーーってされるのは、かなわんなぁ。。とも思いますが、その人を見るたびに、自分の魂は明るい方へ向かおうって気づかせて貰えるので、そういう意味では貴重な存在です。。。
別れるというのは、傲慢のように思うんですが……。
一緒にいる人から光が入らなくても、一緒にいて、その人に光が入るようにがんばってあげる、自分が苦しく我慢することになっても、いつか道が相手にもひらける、光が少しずつはいっていくように信じて努力することは無駄なんでしょうか……
夜中の3時まで起きてブログと新刊の書き上げ、ご苦労さまです♪
今日の真裕美さんのブログを目をうるうるさせながら何度も読みました。
世の中の光と闇の存在を把握してる上で、寄り道しないでその光に向かっていくこと、ですね。
自分がネガティブになってる時の直観(?)には気を付けたいと
思います。自分の中の光を信じて。。。。
『未来を観るアート』って素敵ですね。
私にもいつか真裕美さんにリーディングしていただける日が
やってきますように☆
本当の光は、人生を閉じるその時にわかるものなのかもしれません。闇であることを、光に転換することさえ・・・その反対もありかと。魂のあり方ひとつと感じます。
だから、世間で起こる凄惨な事件の意味を自分なりに考えてみたりします。
「この人と一緒に居ても、魂に光が入りませんよ」
という感じ、何か分かるような気がします。
それは何か自分のほうが偉いとか、そういうのじゃなくって
その出会いから自分が成長できない感じがする・・・というか。
私は「自分が新しくならない」感じと受け止めています。