言語
2つ以上の言語で思考できることについて...
たとえばリーディングをする時に、
同じ人でも英語でやるのと、日本語でやるのでは
答えの出方が違ってくることがあります。
日本語でセッションをする時、
日本語思考の背景にある
「たてまえ」文化や、
前例のないことは、限りなく無理に近いくらい
実現させるために乗り越えないといけない、
一般概念の壁が厚いこと、
周囲の批判の影響力が多大なことなど、
いろいろな理由で、「やりたい」でも「できない」という感覚が
ものすごく強くなって、
できるかどうか判断する前に、
「きっとできないから、そんなこと望むべきではない」
と考えてしまうという壁を
どうやって取り去るか、というのもリーディングの鍵になってきます。
その回路を取り去ってしまわないと、
冷静に判断することはできないくらい。
アメリカ英語というのは、
開拓者の言語というか、「やってみよう〜」「Why Not?」の発想が根強くあるので、
できない=今の時点ではできてない といった感じでしょうか。
日本語で考えると無理と判断することでも、
英語で考えると方法が観えてきたり、
方法が観えなくても、行動したくなる気持ちになれたりする
そんな効用があるように感じます。
そのぶん、すごい無謀なことを無計画にやろうとしたり、
身に余る冒険をするような...そんな効用もあるので
気をつけないといけない感じもありますけれど...
とはいえ、ブログでは書ききれない内容なので
今日はこのへんで...
私達の思考や行動は、言語に多大な影響を受けているので、
イメージではハッキリ観えても、
言葉にすると表現できなくて見失ってしまうことも
たくさんあったりして...