男女の自由
女にうまれたいとか、男にうまれたいとか、
そんなふうに感じることがあるってことを考えると、
そんなふうに選択して、この世に戻ってきたんじゃないかって思うのです。
私の場合は、「前世」を観ると、
確かに選択してきたんだろうな〜って思わされるイメージが
浮かんでくるわけですが、
この男女の生き方を選ぶとき、
「自由」を望んで選んでいるわけで、
どっちに生まれても、不自由さは出てくるわけです。
歴史的には、
女性は経済的に男性に頼って生きるしかなかった時代が長かった。
男性はお金は稼げても、それで自由だったかというと
全然そうではなかった。
時には戦争など、命までも強要され、
なんで生まれて来たのか、
自分は何をしたいのかなんて、考える余裕さえ与えられずに、
ひたすら男としての責任を果たすことに追われる。
あっという間に一生が終ってしまって、
あの人生は何だったんだ?
自分らしく生きたなんて思い出は全くない!
という魂がたくさん存在している、
そんな感じがします。
自由に生きようとする女性と
自由に生きようとする男性が、
どんどん増えている今の世の中
それで「女らしさ」や「男らしさ」
「女としてのわきまえ」や、「男としての責任感」が無くなった
と受け止められるのは、誤解なんじゃないかなぁ〜。
と思ったりするのです。
男女の本質というのは、昔からさほど変わっていないけれど、
世の中の在り方は、どんどん変わっているので。
成功している男性たちの中にも、
一緒になる女性は、経済的にも精神的にも自立してくれてないと困る。
という人はたくさんいます。
さらに勉強して、さらに仕事で賭けをして、偉業を残したいから
男性として女性を守る、という役目は引き受けられないと。
成功している夫の財政を守っているのは
奥さんだったりすることも多いですしね。
歴史的な背景からしても、
前世リーディングからしても、
女性が自由を求める時、それはまず経済的自由を意味して、
男性が自由を求める時、それはあらゆる義務や責任から解放される自由を意味する
それがそのまま、婚活にも影響して、
女性は、「経済的に安定している人がいい」と言い、
男性は、「自由にさせてくれる人がいい」と言う。
というのが典型的なのかと思ってきたのですが、今や男性も女性も、
「経済的に安定していて、さらに精神的な自由を与えてくれる」
そういうパートナーを求めている傾向を感じます。
そういうパートナーは理想ですね!
『経済的に安定していて、さらに精神的な自由を与えてくれる」
そういうパートナーを求めている傾向を感じます。』真裕美さんの文章を拝読して、好きな人のことについて考えました。
私は人を好きになると、こちらをみてほしい、好きになって欲しいって強く思います。でもそれは、精神的自由を与えているのとは逆方向なのかも知れません。私はあなたが好きですが、私を好きになろうがなるまいがあなたの自由ですよ…という北風と太陽のような気持ちが必要なのかも知れません。
私自身は、身も心も綺麗になるようにしている。
愛し合えるすてきな恋愛がしたいなぁと思います。
沢山悩みもあって、自分で解決しなければいけないのでしょうけれど。。。
真裕美さんに観ていただきたいなぁ~
今は真裕美さんの本を読みお祈りしているのですが
願いがなかなか叶わずで。。。お祈りが短期間で
叶う方ってやはり勘が良いと方なんでしょうか。。。
もはや今、流行語みたいになっちゃってるんでしょうか?
この言葉、私はあまり好きじゃないです。
メディアの刷り込み効果のせいかもしれませんが、
結婚するために必死になっている女性像しか目に浮かびません↓
いつか訪れる出逢いの為に自分磨きを頑張っている行動すべてを
「婚活」と表現されるようになってしまうのでしょうか?
私的には、マユミさんにはもうちょっと違う言葉で表現して欲しいですね~。
いたことをズバリと分かりやすく説明して下さってありがとうご
ざいます。
経済的と精神的な自由の獲得のために、そしてひとりよりお互いを励ましあえる伴侶との人生を歩む。これこそ現世に生を
受けた意味なのかもしれないですね。
では最近の女性と男性らしさはについては、経済的と
精神的な自由を与えられる男女にはそれが備わっている、
またはその素質があるということになりそうですね〜!
課題がはっきりしてくるとまた明日からがんばろうと思います。
私も今の一番の望みは子供達を優先、とゆうか今の生活を変えずにすむ状態で、経済的、精神的自立です。
しかし、なかなか子供をもって、年齢もいってる私ができる仕事を
探すとゆうのはなかなか・・
でも、頑張って探さなくては!!
原田さんのように、子供達と楽しく過ごして、バリバリ仕事をして、いつか魂の片割れと一緒にいられる日がくるよう進んでいきたいです。